中将神は偉大なり!!!

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河口湖自動車博物館・飛行舘

 

 

富士山(山梨側)の麓に、「男の子はこういうのが好きなんでしょ?」の代表ともいえる博物館があるんですよ。それが本記事タイトルでもある 河口湖自動車博物館・飛行舘 です。

字面の通り自動車と飛行機が展示してあるのですが、その陣容は観る人全てを圧倒させます。

 

河口湖駅から車で10分強。まずは大きな航空自衛隊の輸送機C-47/55と小ぶりな蒸気機関車が出迎えてくれます。


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[飛行舘]

建物は本館(自動車博物館)とは別のところ。本当はこっちがメインではないのだろうけれども、今回の僕の目的はここ。飛行舘。

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入り口を入って直ぐの光景がこれ。

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手間の濃緑色の機体が、一式戦闘機「隼」1型。西暦1941年(皇暦2601年)に正式採用された日本陸軍の主力戦闘機です。加藤隼戦闘隊で有名な機体ですね。エンジン周りを注視。

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わかりますか!?ピカピカの隼にちゃんとエンジンが詰まっているんですよ!日本で唯一現存する隼がこれです!!!!

一方、天井に吊るされた灰色の複葉機は「赤トンボ」こと九三式中間練習機日本海軍で使われたパイロット育成用の練習機です。そして、赤トンボのしたに居る灰色の期待が「零戦」こと零式艦上戦闘機21型。零戦にもいろいろ種類がありますが、21型は最も運動性能が高いと言われ、日米開戦から暫く続いた「ゼロ戦伝説」の立役者となるものです。

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ここで強調したいのは、この零戦が「飛行」機として完璧な状態にあるということです。

零戦は稼働する栄型エンジン(戦時中に実際に搭載されていたエンジン)を搭載し、ほとんど全ての部品を当時と同様のものを使用し、戦時中と同様のものがピカピカの新品同様として在るんですよ。たまりません。

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さて、隼の直ぐ横に横たわるのは海軍の一式陸上攻撃機。(胴体のみ)

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この機体は800kgもの爆弾や魚雷を抱えて2500km、それらを積まない場合は6000kmを飛行できる高性能を発揮しました。しかし、それと引き換えに防弾性能は無きに等しく、簡単に火を吹いて撃墜されてしまうことが多かった様です。聯合艦隊司令長官の山本五十六はこの一式陸攻で最前線を視察した際に、撃墜され戦死しました。

この写真の右上に何やら写り込んでますね。これは特殊攻撃機「桜花」というもので、一度搭乗すると出ることはできません。特殊攻撃。すなわち、特攻ですね。機体前部に1.2トンの火薬を積み、先程の一式陸攻に米艦隊の近くまで抱えられて、投下されました。その後は桜花搭乗員が一度限りの花を咲かして散らすのです。

 

そんな悲しい歴史の向かいには零戦の別型機がいます。52型です。

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この機体はカウルの下半分が無く、内部のエンジンを見ることができます。エッチですね。

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昭和19年製造ということですから終戦まで1年です。この時期に生産された零戦は先の21型よりエンジン性能が向上しています。しかし、零戦のバージョンアップより、米軍戦闘機の技術革新の方が圧倒的だったのです。結果として、技術力の差のぶん日本人の血が流れたのです。航空機を立派に飛ばせる技能を持った有用な人材の損失は残念ですね。

傍にこれまた「男の子はこういうの好きでしょ?」とでも言いたげな展示が…

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これまたエッチだ。内部構造がわかる様に骨組みだけで組まれた零戦です。中央の写真は主翼の付け根付近に生える零戦の必殺の20mm機関砲がどの様に収まっていたのかよくわかります。機関「砲」ですよ、機関「銃」ではないのです。

また、零戦の構造は「いかに機体を軽くするか」という問題に徹底的に向き合った芸術作品でもあります。ニュートンの第2法則から明らかな様に、同じ力を与えるのであれば質量が小さいほど加速度の大きさは大きくなります。軽量であればあるほど、航空機としての性能は高くなります。

この問題と向き合うために、まず零戦のために新たな合金が作られました。「超々ジュラルミン」と呼ばれるもので、軽量で非常に強度が高く、現在では少年野球用のバット等に用いられます。

もう一つの解決策は強度を維持するのに必要のない部分を切り取るということです。

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おわかりいただけますか?穴だらけですね。「肉抜き」と呼ばれる工夫です。一見簡単な

様に見えますが、「強度を維持できる程度に」穴を開けるというのは難しい様に思えます。

零戦はこういった工夫の結晶であったと、よく後世に伝えてくれる展示です。

 

そして少し地味ながら重要な展示。

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終戦間際の日本でいわゆる「特攻」が頻繁に行われていたことは有名ですね。離陸したらそのまま体当たり。しかし、これでは飛行機が無駄になります。そういう発想の下で、軍部は簡易的な航空機を作ってこれで特攻させることにしました。爆弾は飛行機に括りつけた状態で。そして材料と構造は簡単で。画像をご覧ください。特攻専用機「剣」の外板です。素材はブリキ。一方で特殊なジュラルミン製の零戦。剣が戦争末期のシロモノで、零戦は日米開戦前の作品です。当時の日本が追い込まれていた現状が明らかです。

 

この他に、エンジンの展示もありました。


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左は熱田エンジン。液冷エンジンで、ドイツのダイムラーベンツ製DB605を元に開発されたものです。右は先程の一式陸攻の後継機「銀河」の搭載する誉エンジン。高性能だが壊れやすかったといいます。この「銀河」の空力設計は非常に優柔だった様で、戦後の0系新幹線にも応用されているそうです。また、航空自衛隊でも運用されたF104に搭載されるエンジンも展示されていました。

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[自動車博物館]

本来はこっちがメイン…しかしながら、僕は車はよく知らないもので本館は「ふーん」程度に回りました。お好きな方がいらっしゃれば教えて欲しい。

展示は歴史順となってました。


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中央の赤い車の後ろにあるのが、東京市営バスとしてはしっていたもの。3枚目は1930年代後半期にドイツで作られていたもの。かっこいいですね。

他にも様々な車が展示してありました。それら全てがホコリ一つもなくピカピカに磨かれた状態で、収集家の愛を感じましたね。

 

[総評]

自動車博物館と飛行舘はそれぞれ入場料1000円。普通の博物館の感覚では高額ですが、その価値は十分にあると思います。飛行機野郎自動車野郎とも言うべき「好き」がある人たちが「ほらほらかっこいいだろ?」と笑みを浮かべて実物と本物で殴ってくるのを感じることができます。富士急ハイランドからさらに奥に入った場所でアクセスは良いとは言えませんし、8月しか開館しておりませんが、ぜひ足を運ぶべきと私は思います。

最後にめちゃめちゃかっこいい隼の写真を入れておきます。

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